長崎へ数年ぶりの娘と二人旅 ②~グラバー園
グラバー園は是非ともリベンジしたかった場所。
というのも、数十年前の修学旅行で、自由行動だった園内ではブラブラヘラヘラと遊んでいて、真面目に見学などするはずもなし。
当然時間は限られている。あわてて駆け戻り、後で調べると肝心のグラバー邸を見ていないという大バカをやらかした。
しかし、
グラバー邸改装中( ゚Д゚)
「…よっぽど縁ないんや」と呆然とした。
娘大笑いした後「すごい確率やな。逆に縁があるんかも。もう一回来いってことや」
まあ、そう思っておこう。また何十年後かに、お会いしましょう。
まわりのみなさんも残念そうに「メインなのに残念だなあ…でもこんなグラバー邸も見れないしねえ」と写真を撮っていた。そうそう、確かにそうですよね。
グラバー園は存在自体が宝!
幕末の貿易商グラバーを始め、リンガー、オルトなどの商人が残した異人館が集められている。神戸の異人館が、内装の華やかさと趣向をこらした、見て楽しむものであるのに対して、こちらの異人館はインテリアなどに凝ってない。存在そのものに値打ちを見出すもの。
それぞれの屋敷には、彼らと長崎にまつわる様々な出来事がパネルにして説明されている。せっかくなのでほとんど全部に目を通す勢いで読んでまわったのだが、驚くべきはその業績。幕末の動乱の武器商人の役目を始めとして、明治以後の日本の発展への尽力ぶり。
彼らにとっては金儲けの目的であり、当時の日本は命がけで滞在する値打ちがあるほどの市場だったに違いない。その後の日本にとって、長崎のこの地が持つ意味は非常に大きい。このグラバー邸そのものが特別な史跡であるのがよくわかる。
彼らにまつわる出来事や人々のことに「へえー、こんなことあったんや」といちいち驚かされる。日本発のビールにも尽力しているとは知らなんだ。フリーメイソンの存在の痕跡なんか見ていると、もしかしたらまだまだ公にできないことも多くて、グラバー園を含め、長崎が抱えている私たちが知らない事柄はたくさんあるのかも、と思ってしまう。
また、商人たち本人や身内、それに関わった人たちが必ずしもみんなが幸せになってはいないということ。グラバーの息子である倉場さんなんて居たことすら知らない。彼が残した業績もまた大きいが、スパイ容疑をかけられたり、かなり苦難の道も歩んでいる。原爆投下半月後に自殺した彼の絶望感は、どんなものだったのか。
内容の濃さに疲れて、ちょっと休憩
「長崎ってすごいとこやなあ…」
と、外に出るとテラスで外人さんたちがビールを飲んで談笑していた。きっと同じような光景が何十年、何百年もここで繰り返されてきたのだろう。
あまりにおいしそうだったので、マネしてしまおう。ぼーっと座って景色を眺めていると、あっという間に日が落ちる。最高の眺め!
長崎くんちを知る
出口につながる長崎伝統芸能館には、長崎のお祭り「長崎くんち」で使われる御神輿などが展示してあります。
長崎くんちのこと良く知らなかったのだけど、長崎らしい華やかなお祭りだなあという感じでした。お祭りは全国どこでもそうだけど、テレビで見るより直に見た方が絶対迫力があって良い!とはわかっているものの、やっぱりすごい人だからなあ、お祭りはどこ行っても(^-^;
グラバー園で学んだこと
貿易は、物と物との流通であると同時に、人と人との流通でもあるのだということを、グラバー園は教えてくれる。
貿易というものが、いかに国の発展と衰退に左右するものなのかということを、つくづく実感した。
長い鎖国という政策が、日本の国にどんなものをもたらしてきたのかということは、後日のキリスト教にまつわる見学で、その愚かさと悲劇をまのあたりにすることになる。