こごみの旅日記

旅でもらった思い出いろいろ

長崎へ数年ぶりの娘と二人旅④~大浦天主堂と二十六聖人

大浦天主堂は、修学旅行の時は外から見ただけだった。

確か結婚式だったか何かのイベントで、中に入れなかった。

今回美しい教会内を、じっくり見学することができたので嬉しい。

 

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大仏さんとえべっさんと大国さんが好きだけど、さほど信心深いわけでもない。

キリスト教もイエス様やマリア様には関心がなく、建築物や美術的な要素にしか興味がない。

だから、キリシタン博物館で、その信仰の凄まじさと迫害のすさまじさには、改めて驚かされた。

 

今回大浦天主堂が、「二十六聖人」と密接な関係のある教会だとは知らなかった。けっこうそういう人多いのではないかな。この有名な国宝の建物は知っているけど、その由来や二十六聖人のことは知らないと。

 

娘は、キリシタン弾圧に関して、教科書程度の知識しかもっていなかったようで、

ここまで全国的に大規模で、残虐な迫害があったという事実の生々しさを今回知って、かなり衝撃を受けたようだ。

 

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その衝撃がトラウマにまでなってしまったのが、「日本二十六聖人記念館」の見学。

修学旅行で入ったはずなのに、まったく記憶にない。もちろん内装はずいぶんと綺麗に変わってはいるけど、ガラシャ夫人の肖像画を見て「なんて怖い顔の人なんだ」と思ったことしか覚えていない。

 

二十六聖人とは、豊臣秀吉の時代に、彼の命に従いキリシタン禁教令の元、日本人20名、スペイン人4名、メキシコ人1名、ポルトガル人1名の26人が、長崎のこの丘の上で磔になった歴史事実。少年たちも含まれていた。

 

彼らのことを一番知らないのは日本人で、キリスト教が主なる宗教である欧米では、この地は、公式巡礼地になっているそう。なんせ「聖人」として認められている彼らなのですから。

 

当時、この出来事は、欧米でも衝撃的事実だったそうで、

ほぼ昔話になっていた磔なる野蛮な極刑が、まさか遥か彼方の東洋の地で現実に起こったなんて…

 

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記念館に展示してあるものは、フランシスコ・ザビエルの自筆の書簡など、珍しいものや歴史的価値のあるモノが多数。しかし殉教者関係のものとなると、さすがに凄まじい。なんでこんなものが残っているの…(・_・;)というものも…。

 

殉教地を後にして、お茶を飲んで休憩しながらも、

「あー、トラウマぁー」

を連発していた娘、完全に世界に飲まれていた。

残虐という意味では、歴史的に残虐な事件や事実は他にもたくさんある。

しかし衝撃だったのは、殉教者である彼らが、恨みを残さず死んでいったということだったらしい。

娘いわく、

「『豊臣秀吉のアホんだらあ!!』と、処刑間際に叫んでいてくれたら、今の気持ちはもっと楽」

 「王を許す」と言って少年は死んでいった。

 

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わざと、同じ一点を見つめないように、それぞれが違うところを見上げているようにという意図で作られたブロンズ像は、それゆえにものすごい迫力を感じる。

 

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隠れキリシタンたちが200年以上もの間、守り伝えてきた特殊な祈りの儀式も消えようとしていることを、残念に思うふしもあるが、

殉教していった聖人たちは、消えることを望んでいたのではないかなと、思ったりする。隠れてひそかに祈るような事実が、いつか消えてくれることを、きっと願っていたに違いない。